「残す仕事」と「消す仕事」
浸み抜きとはどんな仕事ですか?との問いに、浦田さんが語った言葉だ。
模様師(布に模様を染める技法である、友禅染めの絵師)の仕事は、後世に残る仕事、誰の仕事か解る仕事。しかし、浸み抜きは消えてしまうので、残らない。しかも、腕が良ければ良いほど、跡が解らない。実に皮肉な仕事といえるのかもしれない。
今回は、浸み抜き(きものについた、浸みを抜く専門家=染色補整士)の浦田 勲さんのインタビューをご紹介したい。
浸み抜きとは・・・
浸み抜きはごまかすことだと思っている。色はき。(=色はけ・・・ムラになった部分や色が合わない部分を「色はけ」または「色はき」という)を補整すること。
色はきの補整とは=生地面が白くスレた様に見える浸み(=生地面がゆれる)は、光の屈折により見えるため、完全に直す事は不可能。スレ(毛羽立ち)を押さえるためには米粉、ふのり(海草)等をのり状にして刷毛などでぬり付け、生地面を平らにする事で光の屈折が抑えられ、直った様に見える。
色の濃い生地ほど浸みが目立ち、汚すとついこすってしまったり、そのままアイロンをかけたりしてしまう。汚れは、(汚して)すぐなら落ちるが時間がたったり、熱が加わったりすると性質がかわり落ちなくなる。たとえば血液。
これを説明するのに良く使う例えは、「生卵がゆで卵や、目玉焼きになったら、もう生卵には戻らないでしょう」と説明している。性質が変化してしまうと、二度ともとにはもどらず、汚れも落ちない。
汚れは横にこすってはだめ、タオルを裏側にあてて、先端に石鹸のついた布を付けたすりこぎ状の棒で汚れをたたき、タオルに汚れをうつすということをやる。
絹(=たんぱく質)は腐るし、木綿、麻では全部違う
実は水が一番浸みになる。のりがとける。水をたたくと、浸みをひろげる、汚れをしみこませてしまう、着物の色がぬけてしまうといったことにつながる。
黒い生地の場合には、とくに皆さん自分でよごれを落とそうとする。濡れると汚れはみえなくなるが、乾くと白茶ける。
また、きものは焼ける。(折り込んであったところを)拡げると、焼けているところと、焼けていないところがはっきりわかる。
浸みを抜いた後、焼けているところと、焼けていないところの色を合わせて行く。(染色の補整)
きれいなブルーは黒ずむ。なかなか直せない。一見異なったような色、紫などを使って補整する。
刷毛の使い方一つにしても、師匠のやり方を見て覚える。ケースバイケースで小さい部分でも、小さな刷毛で細かく塗ってはダメ。大きな刷毛を使う。勇気は要るが、仕上がりはきれいに出来る。
「失敗したら責任を取らなくてはならないので、覚悟は要るが、大きな刷毛を使うのが勘の見せ所。独立したらやってみたい」と考えていたそうだ。
きっかけ・・・
「絵が好きだったので浸み抜き屋になった。」一見矛盾するような話だが、良く聞いてみた。
中学の頃、写生の日に駄菓子屋で遊んでいたら残り1時間に。ススキ1本だけ書いて提出したらそれが県大会で入賞。
おじさんが呉服屋で、かつプロの絵描きはもうからないので浸み抜き屋を選んだ。
滋賀県人は、商人はいいが職人は嫌う。
「商人は60分のうち59分喋っていても1分で1億儲けることができるが、職人は60分すべて働かないとダメ」
そんな滋賀県人だが、絵が好きだったため、浸み抜きという仕事を選んだ浦田さん。
パラダイムシフト(不易流行)・・・
超音波で仕事の中身が一変したこと。昭和35年にはあった。たたいて落とす、原理は昔の洗濯の仕方と同じ。
昔、浸み抜きはブラシを使ったが、今は超音波。メガネ屋で良く見かける眼鏡の洗浄も超音波。それよりも先に浸み抜きに使われた。
最初は(超音波機器の業者が)浸み抜きで使えるか使ってみてくれともってきた。じゃあ使ってみるかと。最初は手探りだった。
(超音波を使うことで)飛躍的に進歩した。ただし、(使い方を)間違うと生地を傷めてしまう。すれてしまう。それをわかって使わないとダメ。
この超音波によって、仕事の仕方が全く変わった。
今では超音波を使わない人はいない。
仕事においての矜持は・・・
失敗できない仕事。昔、濡れているお召しにアイロンをいれてしまった
お召しは織る前、糸の段階でのりを入れるため、濡れているところにアイロンをいれると伸びきって煎餅みたいにぺったんこになってしまう。
一方、ちりめんは織ってからののり入れなので、大丈夫と言った具合に生地の特性を理解していなくてはならない。
同じように、日本の織りと中国の織りはぜんぜんちがう。日本の織りは目がきちっとしている。
浸み抜き屋は、彩色直しができるかどうかでかわる。
色を抜くのは教わればある程度は誰でもできるようになる。元の色に戻すのが難しい。勘だけが頼り。上手下手がでる。色使い・筆使いの加減が大事。熱を当てると色はそちらに逃げる。そういうことも考えて加減をする。
浦田さんは、大手の呉服問屋さん、殆どの百貨店などの仕事をされており、時には皇室の仕事(美智子皇后ご成婚時も腕を振るわれた)も手掛けるほど経験が豊富。そのような背景で彩色補整の達人になられた。
創意工夫が大事。塗装屋を見て色はけと同じだと思った。塗装屋は塗るより吹き付けることが多い。
八掛のぼかし染めは、ハケでグラデーションをつくっていた。噴霧器を買ってきてやってみた。親方や弟子がいない休みにやった。
手でやるよりきれいに、早くしあがった。横着であることが大事、横着だと考えるでしょ。
袷(あわせ)についた浸みも、解かずに浸みを抜く。安全にやるには解いたほうがいいが、解いたら仕立屋にいかなければいけなくなってしまう。
プロとして、お客様に無駄な支出、多くの時間の負担をかけてしまってはダメ。だから解かずに浸みを抜く技を身に着けた。これこそがプロとしての矜持なのだろう。
願い・・・
今は、着物を着せることができる人が家族にいなくなった。
(ご自身もそうだが)模様師も仕事がない。プリンターでできてしまう。
機械的(いつも同じ、きちんとしている)なものが求められる。(人がやるからこそでる)「味」「風味」が消えている
無地染め屋さんも何十件もあったのが、いまでは何件かになってしまった。呉服だけでなく、どんどんやめていっている
浦田さんにも跡継ぎがいない。「計算できない仕事はしたくない」とは、浦田さんのご子息の弁。
「着ていくところがない」とも言う。私は「梅一輪咲いても様になる」と言っている。
結婚式で100万のドレスを着るよりも、30万ほどの和服のほうがずっと目を引くと思う。だから、着方よりも、まず着てもらうことが大事。
もっと多くの人に、もっと多くの機会にきものを着て欲しい。これが浦田さんの思いだと感じた。きものを作る人がいて、そのきものを着る人がいて初めて、浸み抜き(染色補整士)という仕事が成り立つ。
素晴らしいお仕事をされても文字通り後に残らない。使ってもらって初めて浦田さんの技術が解る。
「汚れることを恐れずに、もっときものを着よう」着る人にそう思ってもらえるのが、浸み抜きやさんのプロとしての願いなのではないだろうか。