不易流行インタビュー第二弾 「100年分の技で描く想い」―友禅模様絵師 寺澤森秋さん インタビュー(@信州新町)

100年分の技がきもの」

 

寺澤さんの第一声である。

通商産業大臣認定の伝統工芸士で東京友禅(※)の模様絵師である、寺澤森秋さんが、きものとは?の問いに、上記の様に答えてくれた。

 今回は、長野県信州新町(寺澤さんは板橋区在住)の工房であり、アトリエでもあるサン・ギャラリーに寺澤さんを訪ね、お話を伺った。前編と後編に分けてご紹介したい

 きものをつくる年月とは・・・

きものは工程がたくさんある。通常特に京都は工程ごとに担当者が異なる。それぞれ一人前になるには、10年の修IMG_3080行が必要だ。ざっと10工程とすると、10年かける10工程で最低でも100年分の技がなければつくれない。

これだけの工程をかけて作る衣服は世界にないでしょう。

でも、10年も修行したのに独立して5,6年で廃業する多くの仲間を見てきた。

 

修行してもそれだけでは成り立たないということですか?

師匠から教わったことだけをやっているわけじゃなく、毎日の習得以外に色々試して失敗する。そしてそれを修正する過程でどんどん自分の技になる。好奇心、探究心、遊び心が大事。

 

 

寺澤さんの修行時代の話や、これまで大切にされて来られた哲学などを聞いてみた。

修行時代・・・

長野での10代は山岸半翠氏に南墨画を学ぶ修行から始まったとのこと。

はじめは、ひたすら模写!たくさん描いた。今考えると先生が褒め上手で、(描いたものをみせると)上手だ、良くできたと言ってくれるので、こっちは気分がよくなってまたどんどん描く。

1965年に染色技術を学ぶために日本橋に上京し、東京都工芸染織組合理事長の高山芳樹氏に入門。その後日本画家の佐藤紫雪氏にも師事。

上京してからは模写だけでなく、スケッチも随分書いた。特に冬。花や葉がない木の枝ね。

何故かというと、冬じゃないと枝ぶりが解らないでしょ。花や葉がついたものは、元の枝がわからない。だから冬に枝ぶりを理解するためにしっかり描く。友禅の修行中は先生の自宅に住み込みで、お金もないので、周辺の皇居、清澄庭園、六義園などの庭園風景やあやめ、椿などを先輩たちと、奥多摩へも先生のお供でよく描きに行った。

だから、はじめに模写、スケッチ。それから染めに入った。その逆では決してない。

修行時代は、とにかくどこへでも作品を見に行った。修行中の身だから先方も気持ち良く受け入れて見せてくれた。それでひたすら練習する。

いろいろな作品をみて外から技を盗む。失敗する事でどう直すかが勉強になる。

 

寺澤さんは、分業になっている多くの工程を下絵からはじめて、仕上げまですべてお一人でこなす。

作品を仕上げるまでの、プロセス、こだわりについて伺った。

 

不易流行(その1)・・・お客様とイメージを作り上げる。

メーカー向けを除き、同じものは作らない。感じることを大切にしている。

頼むほうも作者もはじめはどんな作風や色が欲しいかわからない。だからひたすら(大切にしたいこと、想い出、伝えたい思いなどを)聞き出すことで、注文主のイメージをプロデュースする。

すると、だんだんストーリーが出来てくる。それを下絵にする。

(絵にすると言っても簡単ではないですよね?)

たくさんスケッチした事に加え、様々な事に興味を持ち、染めの研究、技術の挑戦をしてるから、自然と絵が浮かび描けるようになる。

 

寺澤さんの友禅は、本当に独自性の高いものが多い。お客様の想いを100年の技で表現した作品例をいくつかご紹介したい。

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この左のきものが、NHKのニュースで取り上げられた寺澤さんの作品をみたお客様が、武蔵野の風景で成人式の振袖を作りたいとのご依頼で出来上がった作品。

東京都の助成で開発したモノトーンで平均に糊を蒔く特殊な技法で、寺澤流の一品。

(※寺澤さんの経歴は以下をご参照ください)

http://www.tokyoyuzen.com/index.html

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こちらの右のきものは、娘さんの婚礼衣装としてご両親、2人の弟がプレゼントした作品。ご両親の生誕地の宮崎県高千穂の天の岩戸の神話や、源氏物語の模様に家族の名前を描いた作品。

 

魚が大好きな方には、龍宮城と宝尽くしはいかがでしょうか?

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 娘さんが子供の頃から父親に魚釣りに連れていってもらった思い出の作品。

 

目の前でみると、本当に海の中

にいるような絵です。

 

 

 

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こちらの写真は、当ブログの背景画と同じもので、エジプトです。

きものの柄にエジプトというのは大変珍しい柄ですが、お客様が

ご家族でエジプト旅行に行ったことが素敵な想い出

ということで作成されまIMG_3093した。

個人できものづくりをされる事のこだわりは?

好きなものに挑戦できるところが良い。その人のオリジナルを作る、仮縫いして下絵を描くことで、その人にぴったり合うようにつくれる。でも、手を抜くことができない(性分だ)から、実際はほんとに大変。

師匠は全工程はされなかったが、自分は色々の作風が出来るようになりたかった。特に、東京と京都の状況は大きく違う。京都は伝統があり、工程が20以上(※友禅で後述)の細部まで分業がなされており、しかも各メーカーそれぞれが特徴を持った作風を作るため、作品のイメージははっきりしている。

これに比べて、東京は20職種にも分業されていないため(寺澤さんはほとんどお一人)、展示会などの場合、すべての工程のイメージを解っていないと依頼主と商談すらできない。だから、面白いともいえる。

もし、京都で依頼主のイメージをもとに最初から染めて行く工程できものを作ったら、別注品になり、20職種の人たちにしっかりイメージを伝えなくてはならず、非常に困難な作業になる。これを担う職種もあり、悉皆屋さんという人にいわゆるプロデュースをしてもら必要がある。(今は悉皆屋さんが激減し、特に東京では殆どいなくなってしまったとのこと)

 

今の課題・・・

昔、長野には絵師や、天養農家がたくさんあったが、今は数えるほどしかない。

後継者問題は本当に深刻で、どう残して行くかは今の自分のテーマでもある。

もっと多くの人に、伝統工芸の良い作品をみてもらいたい。少しでも興味を持ってもらいたい。

 

手間やお金をかけずに、内容の薄い作品ばかりが目立つ昨今、寺澤さんの作品はどれも本当に圧巻で、素晴らしいものばかりであった。

あまりに素晴らしかったので、2日後に家内を伴って再び長野へ行くことになった。

次回は、さらなる不易流行の挑戦(海外とのコラボ、大きい作品作成の新技)などをご紹介したい。

 後編に乞うご期待。

 

 

※友禅染

友禅染とは・・・染めのきものの手法で、元禄時代に京に住んでいた、扇絵師の宮崎友禅斎(みやざき ゆうぜんさい)が考案したとされ、友禅染の呼称はその名からとったとされています。

友禅斎が創案したといわれる手法は、糸目糊(いとめのり)を使うことで細い糊線により、隣り合う色が混ざらなくなり、日本画のような多彩な染め模様が出来上がります。

京都で作られる京友禅、金沢で作られる加賀友禅、東京で作られる東京友禅の3つが有名です。

手で描く手描き友禅、型を使って模様を染める型友禅があり、特に手描きの京友禅は20以上の工程があり、そのほとんどが分業制によって行われており、約20種類の専門職が存在します。

一枚のきものには、多くの職人さんの技が結集しているのです。

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